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スローフード
過食症〜食べることと生きることのエピソード


ソローは村の人から、植物質の食べ物だけでは生きて行けない、と言われました。
またパン種を使わなければ体に良いパンは焼けない、とも言われました。
どちらも取り合うことなしに思った通り暮らしてみて、
そのどちらの意見も根拠が無かったことを知ったのです。

いつの時代にも、勿論人は色々なことをいいます。
私が少女の頃、まず一方に女の子が良い人生を送るためにはぜひとも痩せていなければならない、という人たちが沢山いました。
それから、そのためにこれを食べてよくあれは食べてはいけない、何時にどれくらいの量をどういう方法で食べなければならない、という星の数ほどの他人の意見がありました。
さらに、今とは違う人間になればこんなに幸せになれるのだ、というお話をする人が沢山いました。
全部の話を真剣に聞くと、混乱して病気になります。

私はソローのバタつきパンに見るような「幸せな食事」の訓練が少なかったので
食べることと幸せになることについて自分の判断力がまだうまく育っていませんでした。
どう食べたら幸せになるか、というような判断の基準がまるでなかったのです。
そこに矛盾する無責任な情報が大量に流れこんできてしまい自分を守りきれませんでした。
何をどう食べたら良いのか、ということに関して完全に私には理解の外に立たされてしまいました。
私は問題から取り残されています。
問題だけが私の外側でぐるぐると回り続けました、まるで永遠のように。

何をどう食べたら良いのか、ということの答えは結局
私がその病気からどう回復したかに関係してきます。
私は自分の意見以外の全ての意見を信じるのを辞めました。
何がどうあっても絶対に自分がしたいようにしようと決めました。
食べることで幸せになるために全力を尽くすことにしました。
食べたい時に食べたいものを食べたいだけ食べる。
そのために、いつ何をどれくらい食べたいのか
いちいち内なる自分の声に真剣に耳を澄ますことにしました。

人の意見を聞かない、というのはどんな問題に関してもなかなか勇気のいることです。
私は予め貪欲な野獣の心を持って生まれてきているので、
誰かが厳しく飼い慣らしてくれなければならないのではないかと随分不安な思いもしました。
最初のうちは(悲しいときなどには今でも)長くタブーとして禁じられてきた物ばかりを欲しがりもします。
やがて時間が経つ内に、ひどく無分別と思われたこの私が思いの限りを尽くしても
取り立てて悲惨な醜い真似をしないのだということが経験的に分かってきました。
どうやら人の内なる声は真にその人の為になることを言うものであるらしいのです。

自分の内なる声だけを聞く、ということによって
永遠に解決しないだろうと思っていた問題はいつの間にか完全に解決しました。

これは私の「過食症」という過去の経験に基づいたエピソードです。
しかし「食べる」ということについて
それから「食べる」ということを越えて
とても大切な法則が隠されているのじゃないか、と思っています。

ソローは色々と言われながらも自分の信じたように食べたのです。
私も自分を取り戻すために自分の信じたように食べてみました。
食べることはまさに生きることだと思います。


更新日:2006-06-17


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