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生涯定職に就かなかったソローの生き方

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脱サラという実験
内なる目覚め


【人が生き生きした内なる働きで目覚めずに、召使いや機械の働きで目覚めさせられるのでは、その一日は(一日とよべないでしょうが)何も期待できません。】
【時は時計がはかるのではなく、人の考えや労働の仕組めで決まったりもしません。】
(第二章「どこで、なんのために暮らしたか」p112より引用)

かつては目覚めた時に「あと何日通勤すれば休日だ」と数えることが多かったのです。人生にとっては貴重なその日をやっつけ仕事のように噛まずに飲み込んでしまうのが厭でした。休日以外の日だって私は生きているのに、まるで死んだ振りをしてやり過ごしているようでした。そして週のうち殆どを死んだ振りをしていたのです。私は一体いつ生きるのだろう、と思いました。
 一日の決まった時間に決まった場所に居ることが目的であった生活を辞めてから、目覚めた時には「今日は何をしよう」と考えるようになりました。誰かが自分のために居場所を作ってくれている訳ではありません。労働や機械で予定された朝ではなく、生きる為に目覚める朝が私にもやってくるようになりました。


更新日:2006-06-28


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