「森の生活」はこんな本

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こんなふうに読んできた
自給自足マニュアル


この「ウォールデン」について誰彼の感想を聞くと、割と多いのが、実際に自分が森の生活をしたい、と思った時には何の役にも立たないよね、というような意見でした。確かに分かりますね。「私もそうやって暮らしたいんだけど、まずどうしたらいいの?」という風に言いたい、って確かにそうだと思います。私も思わずそう考えてしまうのだけど、冷静に考えると「あんた、ほんとにちゃんと読んでる?」ってことになるんですよね。要するに自分で考えろ、ってことをソローはひたすら呼びかけているわけです。田舎暮らしマニュアル本みたいなものなんてもともと書きたくもなかったでしょう。「自分を信じなさい、自分が良くなろうとしない、方法を考えなさい」と熱く語るソローに対して「それで、どうしたらいいの?」なんて言ったらソローもさぞ脱力することと思います。
 そういう訳でこの本から「方法」は出てきません。第一、時代が全然違ってきています。
ソローは人はbodyとimagination の両方に食物が必要だ、と言っています(第十一章「法の上の法」)。どちらの食料が欠けても人は絶望に陥りますが、私が思うに現代はソローの時代よりずっと深刻にimaginationが慢性的な飢餓に晒されているのではないか、と感じられます。周りを見渡しても世に慢性的な鬱病がはびこっているのは明らかです。そしてbodyに必要な食料の方はずっと豊富で安価になっています。どこへ行っても食べ物は余っているのです。であれば、主に心配すべきはimaginationであるべきです。そう言った訳で私はどう考えてもbodyに関しては餓死と凍死の目算は無いと踏んだ上で、思い切り見切り発車をしました。現在は旅の途中で出会ったパートナーと組んで自分で企画したもので幾ばくの収入が得られるのかどうかを試していて、これが私の「豆畑」(概要第七章参照)
です。今は僅かばかりの蓄えの中から少しずつマイナスを埋め合わせています。豆畑がいくらかの実をつければ、このやり方は成功でしょう。うまく実らなければ身動きがとれるうちにまた別の畑を作ることを考えなければなりません。どの道確実に実る畑はないのだし、それで良いのじゃないかと今は思っています。
 何の心配をすべきなのか、というのは今のその人の満腹度合いにも寄るのではないでしょうか。bodyもimaginationもバランスよく満たされている人はそのバランスを大切にしたまま注意深く計画を立ててゆっくり進めばいいのだろうし、私のようにbodyが飽食してimaginationが死にかけている人は放っておくと危険ですからとりあえず現状から脱出するのが何よりも先決でしょう。マニュアルはただひとつ、自分の内なる声だけです。
 そういった訳で畑も作ったことがない、釣りも怪しい、山道を歩くのも下手、という私は当然スキルの都合もあって「森」には住んでいません。ただ都会を脱出したのと、自由に自然観察が出来、釣りも山菜取りもでき、家賃の安いところに移り住んだ、というところです。私にとってはそれでも上々の発展段階です。要するに重要なのはbodyとimaginationのバランスを保つことなのですから。

なお、自給自足のマニュアル本としては「自給自足の本」という凄いものが出てますし(凄すぎてピンと来なかった)、私の熱愛する児童文学「大草原の小さな家」シリーズも真の自給自足生活記録として大変優れています。


更新日:2006-06-13


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